「どうしよう。どうしたらいいんだろう。」は、
「こうしたい。」がわたしの中にある、サイン。
外にある正解じゃなく内にあるわたしの答えを。
˗ ˗ ˗ ˗ ˗ ˗ ˗ ˗
子ども達のこと、どうしたらいいんだろう。長い間 そんな思いで押し潰されそうになっていた、ある日。ノートと向き合っていたらふと、そんな言葉が浮かんだ。
「どうしよう」は「こうしたい」があるサイン。…だとしたら、わたしは子ども達のことを、どうしたいと思っているんだろう?
わたしの「こうしたい」って、なんなんだろう?
そう意識を向けてみて、しばらく__
わたしは子ども達との関わりを愉しみたい。
わたしの愉しみとは、息子とハイキングに行ったり娘とクッキーを作ること……ではなかった。ノートにそう書いてみて、全然わくわくしていないことに気がついた。
わたしの愉しみとは、彼らの内側にある世界やシステムに触れること。そうして日々、手応えを感じながら彼らと関わりたいのだ。(その結果、ハイキングやクッキー作りに辿り着くのは、もちろん大歓迎。)
外へ外へと情報や正解を求めている内に、知らぬ間に〝お母さん〟というイメージの中にはまり込んでしまっていた。
けれど、私は〝お母さん〟として彼らと関わりたいのではない。〝わたし〟として、彼らと関わっていたい。
私は〝わたし〟の感覚を使って、子ども達のことも探求し、研究したい。知りたい。理解したい。愛したい。
それは、お茶会に来て下さる方や友人や家族に対しての関わり方、愉しみ方そのものだった。
現時点での、わたしの「こうしたい。」は、これだった。「どうしよう…」というサイン(反応)が教えてくれた、わたしの、「こうしたい。」これを、大切な道標にして行こうと思う。
/ 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟤𝟤𝟥


