「Topaz Love」という楽曲を聴いた時、無数の光がキラキラした、深い深い海のような場所が見えた。
その海に吸い込まれるように沈んでいく。ズーンとした重さが身体に広がり、辿り着いた底で根が張るような…もう2度と戻れないような不安を感じた。
早く戻りたいのに、戻ろうとすることさえできない。身を委ねるしか、ないのだという感じがした。
このまま戻れないのではないかという不安の中で、少しずつ…本当に少しずつ時間をかけて浮上していった。上の方に見える、キラキラとした光だけが、まるで希望のように光って見えた。
これまでの私は、揺れる時間を短くして、なるべく一定の状態を保つように心がけてきた。たとえ揺れてもすぐに対処し、拗れないようにしてきた。
この曲を初めて聴いた先月も、久しぶりに大きな大きな揺れを体験している真っ最中で、なんとか対処しようとしていた頃だった。
けれど、この曲は「揺れることを恐れないで」と言うのだ。「慌てて回復しようとしないで」と。「沈める深さまで沈もう。必ず、自ずと浮上していくから大丈夫」と。
抗えないまま、どうにかこうにかやり過ごし、結局2週間くらいかけて浮上した。この体験が、これまでの世界を180度変えた。
「Topaz Love」を聴いて、剛くんは、どこまでも沈み、潜ることができる人なのかもしれないと感じた。
生じるそのうねりにどこまでも身を委ねられる。どこまでも沈み、時間をかけて浮上する。それは、〝うねり〟そのものへの信頼であり、必ず戻れるという自分自身への信頼なのだと思う。
そして、そんな剛くんへの信頼を強く抱いているのが、光一くんなのかもしれない…と。そんな風にも感じた。
「 必ず戻ってくる。」と、本人以上にそれを信じ、急かすでも引き上げるでもなく、ただそこに立ち続けていてくれる。剛くんにとってそれは、どれほど残酷だっただろうか。どれほど救いになっただろうか。どれほどの希望だっただろうか…と。そんな風に思った。
自然と生じるうねりを信じて、どこまでも潜ることができる。急かすことも、引き上げることも、早く浮上しようとすることもなく。思う存分に潜り切ることができる。
それは、どこまで潜っても、必ず戻って来れるという信頼であり、そのうねりを信じ、待ってあげられるということだ。
「Topaz Love」という楽曲は私に、そんな勇気や信頼を教えてくれた。そこには、身体の回復があるように思う。
不快感を持っていられず、反射的に吐き出したくなる身体から、その不快感に耐えられる身体へと。不快感と共にいられるようになる、待ってあげられる身体へと。きっと、回復してきたのだ。
後にこの曲は、剛くんが突発性難聴になった際に作られた楽曲だと知った。
深い海の水中に沈んでいくような、あの感覚。それに抗うこともできない、現実と分離されていくような…あの感覚。落ちるように沈みながら見た、キラキラとした光。辿り着いた底に根が張られていく、あの感覚。
このまま戻れないかも…という絶望感。昨日よりはマシ。昨日よりはマシ…と、時間を要する途方のなさ。
その絶望に飲み込まれて、完全に目を瞑り、閉じこもってしまいたくなるけれど、あの光が自分という存在を忘れないでいてくれる。あのキラキラとした光が、私を諦めないでいてくれる…という希望。
私はこの楽曲の中に、「自分の質を諦め、受け入れること」と、「差し出され続けてきた手の意味を理解すること」の、うつくしさを見た気がした。
「存分に沈み潜る。そして必ず戻ってくる。」そんな質を自分以上に信じ続けてくれた人がいた。だから、それを受け入れる勇気が持てた。
それは、「あなたは、あなたのままでいていい。」という無条件の受容。
誰よりも自分がそれを許せなかった。それと同時に、誰よりもそれを許してくれていた人がいた。それに気づいた時、私はやっと、わたしのその手を取るのだ。「わたしのままで生きていこう」と。やっと、そう思えたのだ。
強くうつくしい楽曲を生み出してくれて、
心から感謝します。ありがとう。
#私はわたしとわたしする
『Topaz Love』/ DOMOTO(KinKi Kids)🎧 ↪︎ Spotifyはこちら💁🏻


/ 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟣𝟤𝟥
ことごと紡ぐ、

