一日中ずーっと娘といるのがしんどい。
こんな風に夫にボヤく自分がいた。
振り返ってみると、娘が手足口病をきっかけに学校を休み始めてちょうど3週間が経った。その間、ちょうど仕事が忙しい時期が重なった夫の休みは一日もなく、私は娘とずっと一緒だった。
毎日、娘が安心してのびのびとその日を愉しんでいられるなら、そこが学校でも家でも、どこでもいい。
という現時点での方向性が夫と私の中で定まったものの、私の気持ちは日々まだまだ揺れている。といっても、その揺れもまた悪いものではなく、細やかに私自身のほんとうの気持ちを教えてくれる。
大きな方向性は決まったものの、その詳細や細かな部分は、きっとこうして解像度を上げていくのだろう。
𓃔
「 ずーっと娘といるのがしんどい。」
果たしてこれは私の本音なのだろうか?…と考える。確かに、私は一人の時間が大好きで、とにかく一人でいる時間が欲しい。という、自分に対するイメージはある。
けれど、よくよくノートに書き出してみると、一人の時間がないことによる息苦しさというより、娘がベッタリと自分に甘えている感じがして、しんどいと感じていた。
以前よりも、私に甘えている気がして、依存されている気がして、それがとても気が重かった。依存されることに対して、ものすごく嫌な気持ちと、娘の不安を受け入れなければならないという義務感の板挟みになっていた。…ということに気がついた。
あー、依存されるの苦手だわー。
やっぱり、自由が大好きだわー。
という気持ちと共に、本当に娘が以前よりも甘えたになっているのだろうか?と改めて考えてみたけれど、… よくわからなかった。笑
甘えたになっている気もするし、前と変わらない気もする。正直よくわからん。でももし、これが私の勘違いだとしたら、どこからこれが来ているのか…?と、考えた時ふと思い浮かんだ「 母子分離不安 」というワード。
これは私自身が鬱症状と向き合っている時に、何度も出てきたワード。そして、最近またよく目にしていたワードだった。
𓃔
あぁーなるほど私は「情報」に触れ過ぎていたんだと思った。〝不登校〟というキーワードであれやこれやと検索しては色々な情報に触れ過ぎていた。
そして様々な人の様々な意見や感情に触れて、なんだか自分も〝そんな風に〟なっていた。
特に、〝しんどそうな人〟に合わせようとする癖があるなと思った。同じような状況で、自分だけ楽しんでいたり幸せだったらいけない。そんな思考癖があった。
妬まれたくない。「いいよね〜あなたは恵まれていて。」 と、言われたくない。だから不幸なフリをしていよう。しんどいフリをしていよう。そんな癖があった。そう…ある!!!
「いいよね〜あなたは恵まれいて。」このセリフは中学の頃に友人から言われたことがあるもので、その後の私に大きく影響を与えた一言だ。
この言葉に対する怒りから、不幸ぶる癖があることは前々から知っていたけれど、こんな風に発動させているのだなぁ…と改めて気づいて、やめよう。と、思った。
この癖を発動させたくなる気持ちは痛いほどわかるけれど、マジで意味がわからない癖だから、もうやめよう。笑 そして、もうアレコレと情報に触れるのをやめようと決めた。
𓃔
中学の頃に友人に言われ、「何も知らないくせに…」って傷ついたあの言葉。けれど、残念ながら…あれは本当だったなと今は思う。笑 私は豊かなのだ。
どこにいても、割となんでも愉しめてしまう。何がなくても、なぜか愉しめてしまう。そんな豊かさを持っているなと思う。
残念ながら、私は豊かなのだ。豊かさを感じる感性を持っているのだ。それを許そうと思う。そして、娘が学校に行かない選択をしているこの日々を割と愉しんでしまっていたりもする自分のことも、丸っと許してしまおうと思う。
そんなことを考えながら、夕方のスタバでこれを書いていた。娘一人ではお留守番はできなくとも息子も一緒だと問題なくできるので、試しに買い物ついでに小一時間ほどスタバで休憩をしてみた。
外は暗くなり始めている。果たして娘は不安がっているだろうか?と思いながら帰ってみると、帰った私の姿を見るなり娘が、「なんか静かだなぁと思ったら、かか買い物に行ってたのか〜!レゴで遊んでたから忘れてた〜」と笑って言った。
𝗍𝖺𝗀 #私はわたしとわたしする / 𝟤𝟢𝟤𝟦𝟣𝟢𝟢𝟥
#わが家のホームエデュケーション

ことごと紡ぐ、

