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私がやる。から、私たちでやっている。へ

もういよいよ、「誰かの役に立ちたい」という想いが、私の中で終わりを迎えていた。その終わりをじっと見つめていると、役に立ちたい。伝えたい。癒したい。助けたい。…という想いの頭に(私が、)(私が、)(私が、)という文字が見え出した。
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理論上この仕組みはわかっていたけれど、なるほど…と思い引き続き見ていると、「私がゴールを決める!」「私がシュートを決める!」とチームを無視して必死でボールを蹴る姿が浮かんできた。
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パスすることも、周りを見ることもなく、ひとりで突っ走ってゴールを決めようとするその必死な姿に私自身、ちょっとひいた。(笑)
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私が誰かを助けたい。と思う時、自然と〝私が〟が付いてくる。これは私の場合、自分がゴールを決めたいと思っていることと同じだった。
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私たちはチームで何かをやっている。ゴールを決めるのが私ではないこともあれば、誰かから受け継ぎ受け取ったパスで、私がゴールを決めることもある。〝誰がゴールを決めるのか〟は重要なことではなかった。誰がゴールを決めようと、私たちでやっていた。
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「私の一言で気づいてほしい。」「私のセッションで救われてほしい。」「私の言葉で伝わってほしい。」「私との時間で癒されてほしい」
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私はいつでもゴールを決める役でいたい!それ以外は嫌だ!と言っていた私が、ふと周りに気がつき、そこにいた仲間の存在に気がつく。
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私は、チームだった。私たちだった。誰がゴールを決めてもよかった。そんなことは実は大したことではなかった。
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この体験した頃、ちょうど『世界は贈与でできている』という本を読んでいたこともあって、私はすっかりゴールを決めることへの執着がなくなり、種を配っている感覚になってきた。
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私が渡したこの種がその人の中でどんな風に育っていって、どのタイミングでどんな花を咲かすのだろう…そんな妄想をニヤニヤと愉しむ新しい遊びを楽しんでいます。(笑)
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私がやる!から、私たちでやっていた。へ。ボールが回ってきたらゴールを決めるし、パスだって回す。色んなポジションをぐるぐるしながら、私たちはみんなでやっている。私たちはみんなでやっていた。
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そして、こうしてふと思う。
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今日、旬を迎えているこの花は、だれが種をくれたんだっけ?と。たとえ思い出せなくとも、ふと、振り返ってありがとうと思いたい。
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たとえ華々しくゴールを決め、分かりやすく感謝されなくとも、あの時あなたがくれた種が、今日のゴールに繋がっていることも大いにある。そんな風に種を渡してくれた人にも敬意を表し感謝を送りたい。
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