私はすぐにマイルールのようなものを決めたがる。これはもう一種の癖のようなもので、ほぼ自動的にやっている。
この時間にはこれをすることにしようだとか、これはこの順番でやっていくようにしようだとか、これをああしてこうしていくことにしようだとか、とにかく自分の中で仕組み化させようとする。
一人で勝手にやっていて、特にそれを周りにも強要したりしないので、マイルール自体は恐らくなんてことないのだけれど、それをどんどんガッチガチに作り込み、未来永功それを続けよう!みたいな雰囲気になってしまうのは…困ったもの。しかも私はそれが、てんで守れないのだから本当に滑稽だなぁと思う。笑
毎度こうしてマイルールを作り込んでは、大して守ることもなく変化し、また別のルールを作り出す。今もちょうどその一連の流れの節目にいて、「何やってんだろう。」と非常に虚しい気持ちになりつつも、そんな自分のことを面白いなぁとも思っている。
なんでこんなことを繰り返しているのだろう?とぼんやり自己分析してみると、やはりそこには「変わること」に対する不安があるなと気づく。
私は気が変わりやすい。気分ではなく、気の向く方向が変わりやすいのだ。かといって趣味嗜好はあんまり変わらない。なんなら10代の頃から変わっていない。でも、気の向く方向だけは日替わり状態。
幼い頃から、この気まぐれさに振り回されてきた感覚がある。劣等感もある。だって、みんな平気な顔して長く同じことを続けられるでしょう?そしてこの社会はそれが重要視されるでしょう?そんなことをグジグジと言いたくなる。
それに、やっぱり自分自身の見通しが立たないって不安だし私にとってはストレスなのだ。ムーミン谷のスナフキンのように、気の向くままに流離えるなら良かったのかもしれない。
だけれど私にはそんな精神のタフさはなかった。だから流離いたがる自分をなんとか縄で縛り付け、留めておきたくなる。なるほど、その縄がマイルールということなのかもしれない…と今、書いていて気が付いた。
最近の私の研究テーマの1つに「いかに自分を自由にさせておける仕組みを作るか」というものがあるのだけれど、このマイルールとも関係していそうだ。
きっと私は、流離う自分を受け入れたいのだ。でも見通しが立たないのはやっぱり怖いから、ちょうどいい折り合いがつくポイントを探ろうとしているのかもしれない。
例えば、縄でぐるぐるに縛って括り付けるのではなく、縄に長さを持たせて動けるようにしようとか、縄は外すけど柵は作って放牧状態にしようとか、更にそこから遊牧民のように時々移動するようにしてみようとか、そういった試行錯誤をしているかもしれない。
気の向くままに流離いたがる自由な私と、「いつもと一緒」が好きで同じ所に留まり続けたい私。この2人が共存している不思議な私。
なんともややこしく愛おしい。そんな私の中で繰り広げられている愛おしい〝試行錯誤〟をこれからも見守っていこうと思う。
#自己観察日記 / 𝟤𝟢𝟤𝟤𝟣𝟣𝟤𝟤

ことごと紡ぐ、

