私にとって社会とは、
自分ではないものに従わなければならない場所であり、自分の感覚を殺さないと生きていけない場所だった。
…のだと、気がついた。
うまくやれていたつもりが苦しくなって、殺した感覚はエラーコードのように虚しさと不安だけを拾うようになった。
それ以外に自分が何を感じているのか、分からないまま身体がエラーを表示して、どんどん社会からはみ出ては、とうとうパチンと弾かれてしまった。
…ように、ずっと思っていたのだなぁ。
けれど、私はあの頃もそして今も、懲りることなく社会に戻ろうとしたがる。それは、本当の本当はそういう場所じゃないと分かっているからじゃないだろうか。
私の中にいる〝わたし〟が、社会という場所を信じたがる。愛したがる。懲りることなく、まるごしで何度も飛び込みたがる。
きっと、その〝わたし〟は知っているんだろう。本当は、自分の感覚に従ってもいい場所なんだって。それを許さなかったのは社会ではなく、私自身だったんだって。
自分の感覚に従ったら、社会という場所には、きっと面白いものがあるのだろう。
面白いものが大好きな私が、こんなに何度も何度もトライしようとするのだから。それはきっと、とびっきり面白いものがあるに違いない。
私は、その〝わたし〟を信じることにした。そして『社会』というものに無自覚に下していた定義をアップデートすることにした。
私にとって社会とは、自分の感覚で生きていい場所だ。自分の感覚で生きている人たちが集まり、共に生活を営んでいる場所だ。
社会の中にいても、自分の感覚で生きていい。
どこにいてももう、自分の感覚で生きていい。
もともとそれが可能な世界なのだと、
ガチガチに武装した私を、
まるごしのわたしが、ころころ笑う。
#とわとわシリーズ / 𝟤𝟢𝟤𝟦𝟣𝟤𝟤𝟢

ことごと紡ぐ、




