「やりたいことを、やりたいようにするのは、
仕事ではなく趣味です。」
ある日SNSでそんな言葉が流れてきた。
私の頭は瞬時に、
『あなたがやってることって、結局、
独りよがりなマスターベーションですよね。』と、
脳内変換し、私の胸をグジュリとえぐった。
𓃥
数年前から、「やりたいことを、やりたいように、やっていく。」ということに、コツコツと向き合い取り組んできたように思う。
けれど気づいてみると、いつもいつも「自分は独りよがりなんじゃないだろうか。」と…疑ってきたように思う。
空気読めよ。足並み揃えて、周りと合わせろ。
自分のことばっかり見て考えてないで、
周りをよく見て。周りのニーズを汲みなよ。
ほんっと我が強いよね。
それって、独りよがりだよ。
そんなんだから、何をやっても駄目なんだよ。
…そんな責めるような声が、いつも耳元で囁かれ、その声に怯えていたなぁと思う。
自分自身から放たれる、息が詰まるような圧力。なんて苦しいんだろう…と、思うけれど、そうなる事情もよくわかる。私は、自分が満足だったらそれでいいわけじゃないからだ。
人に喜んでもらいたいのだ。
人に愉しんでもらいたい。
それが嬉しいし、悦びでもある。
でも、なんでもいいわけじゃない。…というか、なんでもできるわけじゃない。わたしが楽しいこと、わたしが喜ぶこと。_つまりそれは、私ができること。それで、人に喜んでもらいたいのだ。
この、「やりたいことを、やっていく。」という部分も、はじめは全然許せなくて、よく捻れていたけれど、少しずつ許せるようになってきている。
でも、「やりたいように、やっていく。」への許可がまだ、まったく降りていないのだった。
𓃦
『独りよがり』という言葉を調べてみると、
【他人の意見や感情を無視し、自分ひとりだけで「これで良い」と思い込んだり、自分の考えややり方だけが正しいと固執したりすること。】
と、書いてあった。…耳が痛い。「やっぱり私は独りよがりなんだ。」と、いじけてしまいたくなる。
けれど、『独りよがり』は『独り善がり』と書くのだと知った時、「え?めっちゃいいじゃん!」と思った。
他者に頼らず、一人で勝手に喜んでるってことでしょ?わたしが喜ぶことを、私がやってるってことでしょ?
え?それって、最高じゃない?…と。笑
そんな視点で見てみると、
ちゃんと独りになっていない、独り善がりと、ちゃんと独りになっている、独り善がり。『独り善がり』にもフェーズがある気がした。
個人的な理論によると__独り(孤独)になったら全体調和100%になるわけで。それなら構造上、「独り善がると、全体が善がる。」になるはずだ。
ちゃんと独りになって、独りで善がる。それはやっぱり、皆んなの喜びに繋がるとしか考えられない。
なぜなら、独り(孤独)=全体調和している時に浮かぶことは、全体の喜びに繋がるものだからだ。
その構造で言うと、むしろ、「独り善がりできるものでないと、全体が喜ぶことはない。」にすらなってくる。
__そんな風に思ったのだ。
私にとって、『独り善がり』とは、みんなが喜ぶことを降ろしていくこと。……また新しく、自分の中に言葉の定義が生まれた。
しっかり独りになって、
しっかり独り善がっていこう。
#とはとはシリーズ / 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟪𝟣𝟪

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