「ねぇ、かかって小さい時に僕に何かした?
僕さ、小さい音でも怖くなるんだよ。
だから僕、何かトラウマがあるのかなって…」
息子がある日突然そんなことを言った。
それを聞いた瞬間、久しぶりに、死んでしまいたい。と思った。
私なんかが親じゃなかったらよかった。やっぱり私なんかが親になっちゃダメだったんだ。と、ボロボロと涙が出てきた。
この6年間、精一杯やってきた。
「つもり」なんかじゃない。子どもたちを、ちゃんと愛せるようになりたくて、精一杯自分と向き合ってきたんだ。
でも、それでもまだまだ上手くできない所もあって、いっぱいいっぱいになってしまう時も沢山あって…それに、、
これまでしてきたことは、なかったことにはならない。私が過去にやってきたことは、なかったことにはならないんだ。
それを改めて突きつけられたようで、思いっきり拗ねてしまいたくなった。思いっきり拗ねて、自暴自棄になって、
「もうやめだやめだ!結局、何やっても無駄なんだ!もう手遅れなんだよ!取り返しなんてつかないんだ!」と、投げ出したくなった。
暴れて泣いて、親や夫や、子どもたちに、八つ当たりして責めてやりたくなった。
そんな気持ちをグッと堪えて、ボロボロ泣きながらノートを書く。こんなことで自暴自棄になってたまるか。八つ当たりなんかしてたまるか。
そう思いながら、ぐじゃぐじゃになりながらノートを書いた。
(あの頃の)お前のせいでこうなったんだ。
(今の私は)お前が掘った穴を埋めてんだ。
でも全然埋まんねーわ!ほら、お前のせいだ。やっぱ、お前なんか生まれてこなきゃよかったのに。早く消えろよ。
これまで何度、自分にこう言われてきただろう。何度、こうやって切り捨てて沈められてきただろう。_でも今はその声に対してこう言いたい。
あの頃の私も必死だった。でも確かに上手くできなかった。でも、必死にやっていた。今の私もそう。でも、今も上手くできない時もある。
けれど、いつの時代の私も必死だったよ。と。
過去の自分をいつも悪者にして、切り捨てて沈めて、責めることはもう、やりたくないんだよ。
確かに私がやったことはなくならない。でも、フラットに見て、それだけで子ども達の全てが形成されるとは今はもう思えない。
それに、彼らは彼らのストーリー設定に基づいて、彼らの物語りを歩いている途中なんだ。だからそんな風に彼らの人生を決めつけたくもない。
私はもう、私を許す。私のことを許す。
許した上で引き続き、今やれることをやっていく。歩み途中の未熟な自分と一緒に、今やれることを連続する今、やり続ける。と。
はじめて私は私に刃向かった。
思いの丈を吐き出すと、自分の中に、「埋めなきゃいけないマイナスがある」という前提が存在していることに気がついた。「償わなければならない罪がある」という前提。
これは子どもの頃からあったなと思う。生まれてきたこと自体が罪だというような…生まれながらに終身刑みたいな…不思議な前提だ。
そして、こんな自分に育てられた子ども達もまた、同じようになってしまったのだと思っていたのかもしれない。
それはつまり、子ども達が、「私のせい=私の影響を受けている」という前提の世界…ということでもある。それって、なんて偏っているのだろう。
じゃあどうだったらいい?
どんな世界を望むのか?というと、
「今までも、これからも、子ども達は私の影響を1ミリたりとも受けていないし、受けない。」私は、そんな世界がいい。
もういい加減、自分にそんな影響力があると信じ、怯えて、自分の一挙一動を監視して責めたくない!
もう責められたくない!
もう背負いたくない!
もういやだ!許してほしい!
だから私は、丸っと、許すことにした。私はわたしを許すと決めた。許せるようになっていくと信じることに決めた。
#私はわたしとわたしする / 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟨𝟢𝟦

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