「私たちの感受性は、
抑えないといけないものなのだろうか?」
不安を抑える薬を娘に飲ませるかどうか…を、ぼんやり考えている日々の中、この言葉が何度も浮かんでくる。
この言葉を聞いて思い浮かんだのが、
『アナと雪の女王』だ。
(※ 以下、あくまでも私の勝手な考察と研究が盛大に繰り広げられます。笑 事実とは異なりますので、ご了承ください🙏🏻)
エルサの手袋と閉じされた扉
アナ雪は、私が勝手に研究をしている、『女性性と男性性の統合段階』を、見事に表してくれている作品だと、個人的には思っていて、何度もこの作品から叡智を貰っているのだけれど、
アナ雪1では、エルサは力が出てしまわないようにと手袋をし、力を抑えられるようになるまで部屋に閉じこもることを両親から勧められる。
あれは、私からしたら、「自身の感受性とは鈍らせ、押さえ込まなければならない厄介なものである。そして、そんな力を持ったエルサ自身もまた厄介な存在である。」という教え(思い込み)となる。
けれども結局、そうやって抑えこんだものは、いずれ何らかのきっかけにより外へと出てくる。
扱い方を習得していない力は暴走し、他者(アレンデールの国民)に迷惑をかけ、アナを傷つけてしまうことになる。
エルサの両親とトロール
力を隠し、見せないように、感じないようにしなさい。_と、手袋をはめて部屋に閉じこもらせたエルサの両親、
上手く扱えないと恐ろしいことが起こる_とエルサに恐ろしい映像を見せたトロール。
それは、感受性が強い子、特性が強い子を、なんとか普通にしよう…抑え込もう…と頑張る現代の親や大人たちと重なる。
アナ雪をはじめて見た時は、エルサの両親や、トロールに対する怒りと悲しさで堪らなかった。なんてひどいことをするんだ…と辛くて堪らなかった。
けれど月日が経ち、自身が親になると彼らのやったこと、やろうとしたことは、まぎれもなく、愛だったことがわかる。
彼らもまたどのように、力を持つ子、を、扱っていいのか分からなかっただけなんだと。どうにかしてやりたいと必死だったのだと。今になると、痛いほど分かる。
自身の感受性とどう付き合うのか
不安に飲まれると暴走してしまうけれど、安心した状態であれば、美しさを発揮する力。
それは何も特別な人だけでなく、
今生きているすべての人にあるものだ。
感受性という、自身のアンテナを押さえ込むのではなく、どう付き合うのか?どう付き合っていけるのか?_今のこの時代、私たちはそこに挑戦しようとしている気がする。
そしてなにより、この社会が、それを受け入れられる状態になっていく必要がある。
けれども、社会というものも結局は、一人一人の積み重ねなのだと思う。だから社会を変えようとするよりも、自分の内側と向き合ってみる方が、案外近道なのかもしれない。
みんなの中にある感受性が蘇る。そんなみんなを丸っと受け入れられる社会がある。まさに、
植物たちが共に生きる森のようだなぁと思う。
何年後か何十年後かは
わからないけれど、
そんな世界にきっと、なっていくんじゃないかと…なんとなく信じている自分がいる。
薬…(今のこの世界)を否定し拒絶することもなく、これからの世界への妄想に逃げて閉じこもるのでもなく、
懸命に悩めばいい。まっすぐ自分と向き合えばいい。そう思う。そうするときっと第3の世界が開いていく。
その第3の世界が、ほんとうのこれからの世界。それは、一人一人から生まれる世界なのではないだろうか。
私たち一人一人が
自身の感受性と仲直りしていく。
そんな季節が、
少しずつやってきている。
⚫︎うまれてはじめてリプライズ🎧

#ミクロから見た宇宙研究 / 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟨𝟤𝟥
ことごと紡ぐ、





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