MENU

「のんきに楽しんでいていいよ。」とわたしに言う。

「これ、早めに認めておいた方がいいな」と、思ったことがある。

私は不登校生活も、発達特性のことも、めっちゃくちゃ楽しんでいる。ということだ。笑


私には無自覚で、「なんとなく周りと同じようにしてしまう癖」がある。

(最近知ったのだけど、発達グレーな人の中には、生きていく中で、『普通に擬態する術』なるものを習得する人が、多くいるらしい。)

その癖は非常にナチュラルで、自分でもそうしている自覚がなく、気づきにくい。

私の場合それは言動よりも、気持ちや思考が同じになりやすい気がする。



例えば、実際には不登校生活を楽しんでいるのに、そこには気づかず、困ってみたり、悲観したり、落ち込んだりしてしまう。そんなことをやっていたりする。

不登校生活を楽しんでいる、という自分の本心に、なかなか気づけない。素直に認められない。

「みんなと同じように、」が勝ってしまい、わざわざ困ってみたりする。そんなことを、知らぬ間にやってしまっている。



けれど実際には、私は不登校生活も発達特性のことも日々かなり楽しんでいる。笑

「私の魂はこれを望んでいたんだなぁ〜」と、晴々しく思うことすらあるし、

むしろ逆に子ども達を巻き込んでしまったのではないか…と謎の自己嫌悪に入るくらいだ。笑

けれど、そんな風に楽しんでいるなんてバレたら怒られるんじゃないか。
困っていない私は、どこか変なんじゃないか。

そんな風に、どこかで怖がっている自分がいて、「みんなと同じように、」ちゃんと困らなきゃ、と思ってしまう。

そして、みんなのために、『それをどう乗り越えていくのか』を記し、その道のりを提示しなきゃいけない気がしてしまう。

……誰にもそんなこと頼まれていないのに。笑



のんきに楽しんでちゃいけないように感じる。
けれど実際には、もう既に私は、のんきに楽しんでしまっている。笑

もちろん、未来を見れば不安も心配もある。きっと、それは子ども達が大人になるまで、なくならないだろう。

でも〝今ここ〟を見ると、この暮らしがとても豊かだと感じていて、日々がとっても楽しいのだ。

だから、さっさと認めてしまおう。なんなら、そう宣言してしまおう…と、思ったのだ。

もちろん、楽しいからといって、子ども達を無理やり不登校でいさせ続ける気もないし、「不登校生活を楽しもうぜ」と人に言うつもりもない。

私はわたしのために、わたしに対して認めるのだ。わたしに向けて宣言するのだ。

それはきっと、わたしに出す「許可」だから。




⁡#私はわたしとわたしする

/ 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟦𝟤𝟦


ことごと紡ぐ、