最近、小学一年生の娘が毎日のように、「暇だよー!」 と言って大泣きするようになった。
なんなら学校から帰ってきて、夜お布団に入るまでぐずぐずとぐずっている日もあるので、なんだかぐずりが酷かった赤ちゃんの頃を思い出す。
「 何して遊びたい?」と聞いてみるけれど、分からないと言うし、色々と提案してやってみるものの、いまいちヒットしているような感じもなくて難しいなぁと感じていた。
ここのところの暑さや湿度の高さ、学校での疲れなどの影響もあってぐずっている気もするのだけれど、娘の好きなことや娘が楽しいことをもっと知りたいという気持ちがまたムクムクと湧いてくる。
息子は私と良く似ていて、一人で黙々と何かを作るのが好きだし、僕はこれがしたい!これをやってみたいからこの材料が欲しい!と言ってくれたりもするので、分かりやすいし手伝いやすい。
こういうのが好きかな?と、こちらも予想もしやすいし、もし違ったら、ここが違うよ、もっとこんなのがいいと教えてくれるのでこれまた分かりやすい。
娘は夫と似て少しのらりくらりとした感じもあるので、以前からなかなか掴めない感覚を感じていた。
息子と違って娘は割と何でもやってみる。それはすごく素敵だなって思うのだけれど、なんとなく流されていたり、影響を受けているだけなのでは?本当にそれ楽しんでいるのかな?と思ってしまったりもする。
𓃶
けれどこれは、自分の意見がハッキリしていてそれ以外はあんまり受け付けられない私と、自分の意見はあるもののそれ以外も割と受け入れられる、乗ってみて楽しめる娘。という違いなのかもしれないぞ…とも、思う。
え、めちゃくちゃ素敵やん。
何も心配することないやん。
と、思ってすぐ、そうか私は心配だったんだなぁと気がついた。意見のハッキリした私や兄や周りに影響を受けているように見えたり、付き合わされているように見えて心配だった。流されているように見えて心配だった。
娘にも自分の意見があるのに、それが言えなくなってしまうのではないか。知らず知らずの内に人の要望ばかりを優先させてしまうのではないか。そうしている内に自分の気持ちが分からなくなってしまうんじゃないかって、心配だったんだなぁ…。
はっきりと楽しそうにして、夢中で遊んでくれることで、「これが娘の好きなことで、こういうのが娘です。」と、はっきりと掴んだように分かりたかった。そうして安心したかったんだと気が付いて、肩の力が抜けた。
娘と私は違う。娘の反応の仕方と私の反応の仕方も違う。楽しみ方も違うのだから、別に心配することはなかったんだ。
娘は娘でその時好きなこと、その時やりたいことを次々とやって楽しんでいるのかもしれない。ヒットするような好きなことが見つからないから定まらないんだと、私が勝手に解釈していただけだった。
𓃶
コレ!って言える好きなことがなくたって、定まっていなくたって、新しいものに目がいったって全然よかったんだ。それでもし困ったことが出てきたらその時に一緒に考えればいい。今は、「暇だよー!」という要望に私なりの提案を返せばいい。
もしかしたら梅雨が明けたり、夏休みに入ったら、ケロリと変わるかもしれない。実際今日は朝から元気にあれこれ遊んでいるし。
と言うかむしろ、私も娘に学んでもっと色んな遊びをしようと思った。「これ!」って決め固めてしまわずに、その日その時やりたいことを気が向くままに楽しむ、気ままさを娘から学んでみようと思う。
この夏は娘にも自分にも「今日は何して遊ぶー?」 ってたくさん聞いてたくさん色んな遊びをやってみよう。そんな気軽さでやりたいことをやっていきたい。
#紡ぐ日々、/ 𝟤𝟢𝟤𝟦𝟢𝟩𝟣𝟦

ことごと紡ぐ、

