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「まったく新しい働き方研究」への執着が終わっていく。

ここ何年もずっと研究してきた「まったく新しい 働き方」を形にしたい。結果を出して証明して、自信を持って皆んなに伝えたい。そんな気持ちがずっとあった。

けど、その奥で私は、「さっさと証明して、この執着から解放されたい。もうしんどい。」と、無自覚に思っていた。


2025年の12月、


「あいつらはいつも私の世界を踏み荒らす。この理論を実証して、見返してやりたい。こっちの在り方でも成果は出るのだと証明してやりたい。みんなを助け出したい!」

という想いがあることに、ハッと気がついた。

「 いや、成果を出して証明して納得させる。って…それって私の方が、あっちの世界を踏み荒らそうとしてるやんか……いやこれ…一体、誰の恨みなん??」と、思った瞬間、自分の中にあった憑き物のような執着心がスッと消えた。


今思うと、恐らくあれは私のものではない、集合意識なのか、誰かの未練だったのだろうか。一応気をつけてはいるけれど、私は本当にこういう状態になりやすい。(といってもそれもまた、一つのエピソードを織りなしているだけ。…なんだけれど。)

憑き物のようなものが落ちてから。ふと小学4年生の頃から詩を書いていたことを思い出した。当時は詩を書いているという自覚もなかった。

書いていたあの日の情景が蘇ると、(研究のような)空想も、工作みたいなもの作りも、絵も、暮らしの中であれやこれやとやる工夫も、すべて…小さな子どもの頃からやっていたことだったと、思い出した。

私にとってこれらは、やっている自覚すらない、呼吸のような自然現象のような…遊びだったのだ。6年前から公開し人に見せ始めただけで、35年も前から、ずっとやっていたことだったのだ。


そんな無自覚を自覚したら…活動への気持ちが一瞬で消えていた。もともと、人に見せるためにやっていることじゃなかったものが、その正位置に戻った。

日々、ただやって、ただそれを愉しむ。私はやっと現実世界に帰ってこれた気がした。ただのわたし、に戻ってこれた気がした。

2020年3月28日、「こんなことしてられへん!皆んなに絵を見せなあかん!」という謎の衝動に駆られて、絵を描き、Instagramを開設し…iro andという活動は始まった。

活動する中で、私自身と共鳴する、沢山の人々の想いや集合意識のようなものに触れ、そうすることで色々なエピソードを楽しませて貰ってきた。

そんな季節も、もうそろそろ終わり。なんじゃないかな…と思う。そう言ってまた、やってしまってるかもしれないけれど…笑 でも、ここらで一旦それに区切りをつけたい。

終わっていく季節に自らも、「終わり。」を打ちたいなと、思っている。ここ最近です。

#私はわたしとわたしする

 / 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟤𝟤𝟣


ことごと紡ぐ、