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私にとって、「壊れる」とは?

「壊れるってなんですか?」と
マナミさん @necco1221 に聞かれて、

そこに二分割思考による執着が
あることに気がついた。


「壊れる」ってなんだろう?と改めて自分に問うと、元に戻らない。取り返しがつかない。悲しい。辛い。嫌な感じ。と浮かんだ。その時頭に浮かんでいたのは私が子どもの頃に離婚した両親、顔も覚えていない父の影だった。

あぁ…自分哲学を偉そうに語っている私の根っこにあるのは結局これだったのか。覚えていなくとも、やっぱり両親の離婚は悲しかったんだなぁ。



私は〝物〟が好きだけれど物を買う時に、「これは一生モノだろうか?」 といつもいつも考える。

お気に入りのモノをなるべく長く、大事に使い続けたいという私のこだわりのようなものが、そこにはある。

「買い替える」という発想はあまりなく、壊れるまで使いたい。できれば死ぬまで使いたい。それに耐えうる物であってほしい。なんなら壊れたらまた同じ物を買いたいと思えるほどのお気に入りと出会いたい…という想いがあるし、

古着など一点物、「代わりがない」ものも好きだから、お気に入りのものが壊れたらもう二度と手に入らない取り返しがつかないという想いが強くある。

私の「壊れてほしくない」という想いには、代わりのきかない唯一無二の物を失いたくないという怖さがあるようだ。



けれどこうして書き出してみると、それって、成長だよな。壊れるって新しくなること。新しく生まれること。新しく始まることなんだなと…そんな風にも思えてきた。

そもそも物が壊れなくても、より好ましい物にアップデートして買い替えてもいい。

「壊れる」って、大事にしなかったから…とか扱いが悪かったから…とかではなく、もっともっと自然なこと、〝おおもと〟の領域で起きていることなのかもしれない。

そう思うと…壊れてもいいんだなと思えた。壊れてもいいし壊れなくてもいい。私にできることは、「今、それを大事に使うこと。それを感じること。」ただそれだけなんだなって。

そう思えた時、「壊れること」を受け入れることができた気がする。



唯一無二の何かを失う苦しくて辛い悪いもの。
という二分割思考の「壊れる」から、

〝おおもと〟の領域で生じている営みの中で起きる、ごくごく自然なただの一つのできごと。という「壊れる」へ。またひとつアップデートできた気がする。






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ことごと紡ぐ、