「遊ぶ」の語源は神事に由来し、
自由に動き回るという意味なのだそう。
もともとは神様にしか使わない言葉だったけれど、現代では「人間が心のおもむくままに行動して楽しむ」意味として使われるようになった。
「遊」の漢字は、立ち止まりつつ進むという意味の「辵」と、ゆれ動くという意味と音とを示す「斿」によって構成され、ゆっくり道を行く。という意味を持つのだそう。(すべてwebより)
私の中で、「遊ぶ」とは、自分の中の女性(性)と男性(性)がくるくると、舞い踊るように、愉しく無邪気に戯れているイメージ。それは、蝶々のカップルのようであり、光と影のようであり、まぐわいそのもの。
因みに、まぐわいはセックスとは別もの。セックスとは主に肉体的な性交渉だけど、まぐわいはそれを含みはするけれど、それだけじゃないし、性交渉そのものを必ずしも必要とはしない。
私の中で「まぐわい」とは、自分の中の女性(性)と男性(性)が溶け合い、まざり合い、一体化する。そんなイメージ。
私が女性性と男性性の統合は、実質〝融合〟であると感じるのは、このためなのだろう。
でも、実際には完全に混ざり合うことは不可能なのだと思う。なぜなら、まぐわいは、エネルギー交換だから。
交換する相手を必要とし、混ざり合えない他者がいるから、交換し合う循環が成り立つ。だから、私たちはまぐわい続けるし、そして完全に融合したものは、新たな命(子/作品)として生み出される。
つまり、「遊ぶように生きる」とは、私とわたしがまぐわいながら生きること=エネルギー循環しながら生きること。
そして、それは、
日々、心のおもむくまま、
気の向くままに自由に動き、
愉しみながら生きていきたい。
ということだったんだなぁ。
#ミクロから見た宇宙研究

/𝟤𝟢𝟤𝟥𝟣𝟢𝟣𝟢
ことごと紡ぐ、

