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ほんとはきっと、言いたかった。

自分と向き合い始めてから幾度となく、

私の中に、「自分の感覚を信じられない。」という、しこりのようなものがあるな__と感じてきた。

それは、自分の感覚をいつも疑い、『自分以外の正解に合わせなくてはいけない』という強いプレッシャーの中にいる感覚だった。

今、少しずつ…少しずつ、自分の感覚を信じられるようになってきていると感じているけれど、

それでもまだ、キョロキョロと周りを見渡して、「みんな(普通の人)はどうしているのだろう?」と、みんなが持っているように見える〝正解〟を求めてしまう。

__そんな自分の中に、強い恨みのようなものがあることに気がついた。



子どもの頃、自分の気持ちを言った時、

大げさだと言った人がいた。
偽善だと言った人がいた。
痛がりだと言った人がいた。
甘えだと言った人がいた。
わがままだと言った人がいた。

今となってはもう、
いつ、誰に言われたかわからない。

大人になってからは、

気にしすぎだと言った人がいた。
もっと気楽にねと言った人がいた。
頑張りすぎだと言った人がいた。
もっと頼ってねと言った人がいた。



けれど私には、どこまでが甘えで、どこからがそうじゃないのかが分からない。どこまで自分でやらなきゃいけなくて、どこから頼るべきなのかが分からない。

そして、自分を追い込んでは、何度も身体を壊してドロップアウトした。

でも、本当は、怒っていたのかもしれない。拗ねていたのかもしれない。

「あの人たちのせいで私は自分を信じられなくなった。それが私をどれだけ苦しめているか、見せつけてやる。どれだけ酷いことをしたのか、思い知らせてやる。」

わかってくれなかった、あの人たちが悪いのだと、どこかで思っていた。

そんな、恨みのような思いを、どこかで握りしめていたのかもしれない。



こういう表現は私の癖だなぁ…と思う。

自分を追い込んで、被害者になって、ボロボロになることで訴えようとする。

直接言えないし、言い返せない。そんな私の癖。本当によくやっているなぁ…と思う。

こんな時、これまではよく、「わかって貰えなかった」という悲しみを感じてきた。けれど、今回はそれじゃない。

「本当は、言いたかった。」__こちらを感じるのだ。

「どうせ、わかって貰えない。」と拗ねるけれど、そもそも私は、わかってもらう努力を何もしていなかったのだ。

勝手に決めつけては言葉を飲み込んで、自分自身を痛めつけることで訴える。そんな、わかりにくい伝え方しかしてこなかったのかもしれない。



でも、だとしたら、〝わたし〟はなぜ、これらを私に配置してきたのだろう?と、眺めると…やっぱりそれは、

「わかってもらうために伝えたい。」
「伝わるように伝えたい。」
「そのためにも、誰よりも自分をわかりたい。」

ここに尽きるのかもしれない…と思う。


「本当は、言いたかった。
わかってもらうために、伝えたかった。」


そんな、〝わたし〟の望みを感じて、ギュッとなる。__随分、待たせたね。どれくらいやれるかは分からないけど、やってみるよ。





#私はわたしとわたしする

/ 𝟤𝟢𝟤𝟨𝟢𝟦𝟤𝟢


ことごと紡ぐ、