自分の中にある〝さみしさ〟をまた一つ愛せるようになった話

先日、アトリエコッコのまちこちゃんとの話の中で、無自覚に設定しているものを自由に再設定していい。という話が出て、「私の周りにいる人」を再設定してみた。

私の周りにいる人は、
私の多様な側面を丸っと面白がって
愛でてくれる心豊かなすてきな人たち。
(※すてき=自立・尊重・感性豊か)

と、再設定した。…ら、iro and のインスタのフォロワーさんって、まんまこれじゃん!っと思った。「色んなことに関心が向く私の全部をわかってくれる人と出会いたい。そんな人とだけ仲良くしたい。」という気持ちが強くあったけれど、もう既にいた。

もう既にそんな人たちと繋がれていて、私のあーでもないこーでもないと一人騒がしいストーリーを覗きに来てくれていた。投稿を読んでくれていた。ストーリーも投稿も見ていなくても、フォローを外さずにそこにいてくれていた。

私がずっと求めていた、私のことを丸っと、いいね。面白ね。すてきだね。って言ってくれる人達がもう既にいたのだ。そう気づいて、おいおい泣いた。

どうせ一人ぼっちなんだ。どうせ誰もわかってくれないんだ。と淋しくて淋しくて拗ねて、心を閉ざしていた子どもの私がいたけれど、気づいていないだけで、本当は既にめちゃくちゃ愛されていた。愛でてもらっていた。とんでもない愛の中にいた。そんなことに気がついた。

そして、そんなことに気づいたら自然と、「私の一つの即面だけを好きだと言ってくれる人も、いていいんだ。それも愛なんだ。」と思えた。

今までは、全ての側面を丸ごと愛してくれる人以外はお断り!と、条件が付いていたのが、そこに対する執着がスーーーっと消えていった。だって、執着する必要がなくなったから。

そして、この執着がなくなったら、「どうせ誰もわかってくれない。誰かにわかってもらいたい。」という、どうしようもなく湧いてくるこの気持ちをまた許せた。

自分の中にいる圧倒的な〝さみしさ〟。それが私の中にいること、このさみしさと共に生きていくことが、悪いものではないなぁ…と、愛おしく思えてきた。

こうして私の中にあった〝さみしさ〟を
また一つ愛せるようになった。ありがとう。

⁡/ 𝟤𝟢𝟤𝟦𝟢𝟫𝟢𝟦


cotogoto tumugu


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