私はもっと、わたしに配慮してあげたい。と思った旅行の話

先日、滋賀へ旅行に行った際に泊まったお宿。オシャレできれいで雰囲気も良かったのだけど、大きな一軒家の各部屋を客室にしたような作りになっていて、音がかなり響いて聞こえるし、客同士が居合わせまくってしまう。更にはオーナーさんや従業員の方が基本的に誰も在中していないというお宿でした。

1日目は小学生の女の子2人を含む4人家族1組と私たちだけだったので、特に何事もなかったのだけれど、2日目はまさかの大学生の男女9人と私たちという組み合わせになり…さすがに色々と違いすぎる2組が居合わせるには向いていないお宿で、

大学生達がチェックインして来た時から、大騒ぎしている声が丸聞こえだったし、笑

大学生達も私たちと初めて居合わせた時に、え?貸切じゃないの?自分達意外にも人がいるの?しかも子どもいるじゃん…どうする?でもせっかく来たのに気を使いたくないんだけど…というやり取りが聞こえてきた。笑

大学生達は派手な騒がしい人たちでもなんでもなく、ごくごく普通な方々で、青春!って感じだったのだけれど、我が家は小さな子どもがいるので9時には布団に入るし、音が苦手で不安になりやすい私だったので、旦那さんと話し合って別のホテルに泊まり直すことにしました。

(お金はかかってしまったけれど、私達家族も静かにぐっすり眠れたし、大学生達も私たちに気を遣うことなく楽しめたのではないかと思うので、よかったなと思っています。)

今回の出来事で、音が苦手とか不安になりやすいとか、色んな不安要素があるくせに、よくよく考えもせずこのお宿に自分を泊めたことは、自分自身への配慮が足りなさすぎたんだなぁ…と思い、そもそも私は自分に対して大した配慮なんていつもしてこなかったんだなぁ…と気づいたのでした。

それはつまり、私はわたし自身を粗雑にぞんざいに扱い、テキトーで投げやりな態度を取ってきたということに気づかされたことでもあって、私はわたしに、もっともっと配慮してあげたいなという気持ちが溢れ出して来た。

私はわたしに、安心してのびのびしててほしい。
おもしろーい!興味深〜い!ってコロコロ笑っていてほしい。うれしいなぁー。ってホクホク悦びを噛み締めていてほしい。

そんな風に、自分のことが愛おしく感じてきて、もっと自分を丁寧に大事にしてあげたくなってきました。

改めて『配慮する』ということを調べてみると、事情を踏まえて気遣いのこもった取り計らいをすること。おもんぱかること。

『おもんぱかる』とは、相手の事情や周囲の状況について十分に思いを巡らせること。

『事情』とは、事の次第。物事がそうなる、またはなった、細かな様子・わけ。と、書いてあった。

…ってことは、その〝事情〟だったり、何が心地よいだとか何が苦手だとか、そういうことを知らないと配慮できないよなぁ…と、やっぱり『自分を知る』ってところに立ち返ってくる。

私は〝自分を知っていくこと〟をとてもとても大事にしたいと考えているのだけれど、ここでもやっぱり、それが必要。自分自身を大事にする為に、自分自身に配慮してあげられる為に…そんな角度からまた自分を知っていこうと決めたのでした。

なにが君の  しあわせ
なにをして  よろこぶ
わからないまま  おわる
そんなのは  いやだ!


アンパンマンのマーチにはこんな歌詞がありますが、そんな気分です。笑 

わたしが幸せって感じるのはどんな時なんだろう?何をするとわたしは喜ぶんだろう?どんな時に不安になって、それは何故なんだろう?どんなことが苦手だと感じていて、それはどんな感覚なんだろう? どんなことに愉しさを感じて、どんな状況だと安心してのびのびしていられるんだろう?

その時々で変化していくであろう、この答えを感じ取ってあげられるのは、自分しかいない。わたしのことをもっと知っていきたい。理解していきたい。

そして、わたしが安心してのびのびしていられるように、コロコロ笑ってホクホクしていられるように配慮してあげたい。大事にしてあげたい。そんな風に思う、今日この頃です。






#紡ぐ日々

⁡ / 𝟤𝟢𝟤𝟥𝟢𝟪𝟤𝟩



綿子 / iro and
iro and(イロアンド)という活動名で描いたり、書いたり、喋ったり。自然な暮らしを生活に取り入れる試行錯誤が好きで、暮らしを丸ごと愉しみたいと考えています。心の師匠は、花森安治。大好きなことは宇宙研究。
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