あの人たち、のように生きたかった

内なる季節の移ろいを、
ひしひしと感じているこの数ヶ月。

これからは、もっと軽くなっていくのかーそうなっていくと、一体何をかけばいいんだろう?何もかくことがなくなっていく気がするけど…とにかく暇に怯えず自然と淘汰されていくものを観察してみよう。


そう決めてみてから、わたしの一部が悲しくて堪らない。わたしの悦びを奪わないでほしい。わたしから深く深く潜ることを奪わないでほしい。と、悲しくて悲しくてたまらない。

あぁまだ、こんなことを言うわたしがいるのか。私には無理なんだって、私は違うんだって何度言えば気が済むんだ。

私とあの人達とは種類が違うんだ。繊月のように細く、鋭く美しい。それでいて逞しくて、強い。いくら憧れてもああはなれい。いくら憧れても仲間には入れないんだ。感じ取れる範囲が違うんだよ。見た目を描く線の質感はもちろん、纏っている空気が違うんだ。種類が違うんだ。わかるだろ。

諦めるしかないんだ。わたしは、わたしで生きていくしかないんだ。あの人達のようには、生きられないんだ。




結局、私はこんな風わたしを抑え込み、手っ取り早いインスタントな表現で自分の熱をテキトーに発散させていただけなのかもしれない。

なんとなく誰かの役に立てているような、いいね、と認めて貰えているような気分になって、なんとなく、なんとなく、仲間に入れて貰えた気分に酔っていただけなのかもしれない。

それでも、確かにこれには気づきたくない。気づきたくなかった。そこに向き合うのはしんどすぎる。どうしていいのか分からない。また、まっくろに飲み込まれてしまう。

どうしようもない。成す術がない。どうやったって無理なんだと放棄したものを握り直す勇気がない。できる気がしない。どうしたら握り直せるのかも分からないし、向き合いたくない。このままずっと逃げていたい。恥ずかしい。恥ずかしい。




けれど、どう抗ったって流れがそっちに向かっているのは明らかだ。それこそ諦めるしかない。

得てきた軽さは、ここで出せばいい。

〝あの人達〟のようにはなれなくとも、表現と向き合えるわたしになっていけるように。どれだけダサくて恥ずかしくても、たった一人の私を生きていけるように。

どろどろとした沼から這い上がろう。






𝗂𝗋𝗈 𝖺𝗇𝖽 ∞ #紡ぐ日々

/ 𝟤𝟢𝟤𝟥𝟢𝟩𝟤𝟩


cotogoto tumugu


綿子 / iro and
iro and(イロアンド)という活動名で描いたり、書いたり、喋ったり。自然な暮らしを生活に取り入れる試行錯誤が好きで、暮らしを丸ごと愉しみたいと考えています。心の師匠は、花森安治。大好きなことは宇宙研究。
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
contents