
友人は赤ちゃんがいるから会えるのは10時以降だろう、それなら近くのホテルにしなくちゃ。
家族がキャンプに出発するのを見送ってからじゃないと私も出発できないけど、旦那さんは夜勤で何時に帰れるか分からないからなぁ…キャンプ何時に出発するんだろう…
直接聞くのを避けてしまいがちな私は、色んなことを、憶測で、思い込みで、勝手に想像して
しまう癖があることに改めて気がついた。
東京駅から迷うかもしれないから…時間に遅れて乗れなかったら…子ども達が風邪をひいら…せっかく会うのに楽しんでもらえなかったら…考えても仕方のないことを、こうだったら、ああだったら、と考えて動けなくなってしまう癖がある。(これは前から知っていたことだけれど。)
「31日は何時から会える?」
必要なことなんだからサクッと聞きゃいいのに、聞くのを避けて避けて後回しにして、赤ちゃんがいるのだから会えるのは10時以降だと勝手に決めつけながら、何軒ものホテルと吉祥寺駅までの所要時間をGoogleマップで調べてはグルグルグルグル決められずにいた。
いよいよ思い切ってメッセージしてみると、「何時でも!8時でも9時でも!」って返ってきた。え!?そんなに早くからいけるの?そんなに早くから会ってくれるの!?
「それじゃあ近くのホテルにする!」と、返信すると、「泊まりたいホテルに泊まったらいいんじゃないかな。私がそっちにいくってのもありだし。」と返ってきた。え !? そんなことあるの!?そんなことできるの !? その発想は1ミリもなかったんだけど…そんなこと可能なの !?!?
って…いくら考えて、考慮して配慮してるつもりでも、結局それはただの憶測にすぎない。勝手な憶測にすぎない。こうして聞いてみたら思ってもみない選択肢があったりするんだ。
「本当はこうしたいんだけど… 」という気持ちを、いとも簡単に容赦なく瞬足で、押さえ込むのは、こうなはずだよ?こうに違いない。ああだったら?こうだったら?…という勝手な憶測。それを私は考慮や配慮と呼んで、〝いい大人〟にとって必要なものだと思っていた。…そりゃ決められないし、動けないわ。人のことはいくら考えても、その人に聞かなきゃ分からない。
でも、それを聞くのを避けたくなるのもまた事実。めちゃくちゃ苦手なんだよなぁ。嫌なんだよなぁ。「え?聞いたらいいやん?」っていつも旦那さんにも言われるけれど、それができない。メッセージが送れない。ましてや電話なんてもっとハードルが高い。
幼稚園のことも、クラスの集まりも、小学校のちょっとした疑問も、生協さんも、なんでもかんでも、、、聞けないんだよなぁ…むしろ〝ちょっとしたこと〟の方が聞けない。聞くのに勇気がいる。そして後周しにして、いよいよどうしようもなくなって、参加できなくなったり忘れ物したり、必要ないものを受け取ったり…してしまうんだよなぁ、、、
この癖もやめていきたい。
やめていこう。そうしよう。
𝗂𝗋𝗈 𝖺𝗇𝖽 #紡ぐ日々

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