私はこうして、また一粒、わたしを愛していく。

その場が和むように、喧嘩が起こらないように…自分の気持ちを無視してお調子者キャラを演じる。そんな癖があった。

ただの憶測なのに、求められているものがある気がしたら、自分がしんどくても応えようとしてしまう。やめられない。そんな癖があった。


そんな癖にまた苦しんでいる自分に気づいて、広げて、見てみると、そんなお調子者キャラはその癖だけではないことがわかった。素の私とも、大きく重なる部分があることがわかった。

私がしんどくなるのは、揉めちゃダメとか求められている気がする…とか勝手な憶測で決めつけてしまう部分。自分の気持ちを無視して無理してしまう部分。

揉め事が起こるのはエネルギーが循環する際の一コマに過ぎないから、それを否定することはない。私がそうしてまで得たかったのは『安心してそこにいられる』こと。今の私はもう自分で自分にそれを与えることが、きっとできる。




お調子者キャラをやめる!なんて単純なことではなかった。その中にある自分がしんどくなる部分を工夫していく。自分がのびのびしている部分を知っていく。

そうしていく内に、『キャラ設定は私を支配するもの』から、私の中の単なる一部にきっと、なっていく。ベッタリとこびり付いて侵食されているように感じていたこのキャラクターが少し愛しくなってきた。愛せる気が、してきた。

『やるか、やらないか』そんな二択では割り切れないものがある。その二択の間には沢山の粒々が存在していて、沢山の部分の集合体でそれらはできている。

それを分解して確認して仕分けしていく。一見遠回りのような、気の遠くなる作業かもしれないけれど、結局これが一番早い気がする。

私はこうして、また一粒、わたしを愛していく。⁡不器用でもこれでいい。きっと、これがいい。



⁡#紡ぐ日々

/ 𝟤𝟢𝟤𝟥𝟢𝟩𝟣𝟦


cotogoto tumugu


綿子 / iro and
iro and(イロアンド)という活動名で描いたり、書いたり、喋ったり。自然な暮らしを生活に取り入れる試行錯誤が好きで、暮らしを丸ごと愉しみたいと考えています。心の師匠は、花森安治。大好きなことは宇宙研究。
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
contents