常備菜作りから感じた「捉え方を変えることで何も変わらないのに全然違う。」ということ。

しばらくやっていなかった
常備菜作りを再開しました。

⁡そのきっかけは yori.so (よりそう)というサイトで見かけた、料理人・セラピト cayoco さんのインタビュー。(大分割愛するので是非、その記事を読んで欲しいのですが )

⁡エネルギーとは、生き生きしているかどうか。食材だけでなく、作る人のエネルギーも生き生きしているか。

常備菜を、元気な自分のエネルギーで疲れた自分に向けて作るというのも良いアイデアかもしれませんね。

⁡…と書かれていて、なるほどー!
と思ったのです。

オージャスやらなんやらの関連で〝できたて・作りたて〟がエネルギーが高いのかな〜と自然に思っていたのだけれど、

⁡何もしていなくとも夕方になると疲れがち。毎日の夜ごはんも子ども達のあれこれで慌てながら作ったり、時にはイライラしながら作ることもあり…この辺りはほんのちょびっと、ジレンマを感じていた部分。

⁡この cayoco さんの記事を読んでから、〝自分が元気で気が向いた時〟に常備菜を作るようにしてみています。

⁡沢山じゃなく、2〜3品ちょこちょこっと。集中して、のびのび、愉しく作れる、〝ちょうどいい感じ〟を心がけながら疲れた私へ元気な私からの贈り物を用意する。そんなイメージで最近は愉しく気分よく作ることができています。


「できたて・作りたてと比べるとエネルギーの低い常備菜。」というイメージから「元気なエネルギーがこもったエネルギー増し増しな常備菜。」というイメージに180度変わったこの体験。実際に食べる時もそんな気持ちになるから面白いもの。(我ながら単純ですね。笑)

捉え方を変えることで、何も変わらないのに全然違う。改めてそう、感じる体験でした。

丁寧に作った常備菜
とってもかわいいです◎

/ 𝟤𝟢𝟤𝟤𝟢𝟨𝟢𝟥


cotogoto tumugu


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