〝未知なるもの〟を自由にする

未知は既知の延長上にはあるけれど、
私たちが知っているような線ではない。


未知は既知の中には入っておらず、
未知の中に既知は含まれている。


既知から未知を予想することは
できるけれど予測することはできない。


予想は拡げる。予測は絞る。
さあ、〝未知なるもの〟を自由にしよう。



˗ ˗ ˗



「既知を用いて未知を知る難しさ」


先日この言葉をどこかで見かけた時、ものすごくフィットする感覚になりました。未知なるものを見ようとする時、私たちはどうしても〝定めよう〟としてしまいます。

これなのか?こうがいいか?こうするのがいいか?そんな風に正解を出そうと予測し、絞って定めようとする。それは未知を縛り制限することに〝も〟なる。それとは逆に予想とはイマジネーションであり拡げていく。そんな、質の違いがあるようです。(どちらが良い悪いというわけではない。)



〝未知〟というのは、未だ知らないから未知。それを既に知っているもの(つまりは過去の経験や知識、データなど)を用いて正解を出そうとするのは非常に難しいし、正解であると立証するためにその枠に納めようとする働きが生じたりもする。

その縛りを解き制限を外して〝未知〟を自由にさせてあげると、未だ見たこともない世界の外側、知らない広い世界へ連れて行ってくれる。そんな風に感じるのです。



未知なるものを予測しようとする時、そこには未知なるものへの恐怖がある。それは、自分自身の本質や〝おおもと〟への不信感がある状態でもある。怖さでギュッとなったその身体に
〝信頼〟という暖かさを流せたなら、安心してその未知なる流れに身を委ねることができる…かも、しれません。

未知なるものを自由にし、予想(イマジネーション)をのびのびと拡げながら、ゆったりと流れに身を委ねよう。気づけばそこは未だ見ぬ世界。





⁡#ミクロから見た宇宙研究
𝗍𝖺𝗀 // #新しい世界へ
#まったく新しい働き方

𝗂𝗋𝗈 𝖺𝗇𝖽 ∞ ⸜ 丸ごと美味しくいただく ⸝
𝖶𝖺𝗍𝖺𝗌𝗁𝗂 𝗍𝗈 𝗂𝗎 𝗆𝗂𝗄𝗎𝗋𝗈 𝗄𝖺𝗋𝖺
𝗆𝖺𝗄𝗎𝗋𝗈 𝗇𝗈 𝗎𝖼𝗁𝗎 𝗐𝗈 𝗄𝖾𝗇𝗄𝗒𝗎 𝗌𝗎𝗋𝗎.

/ 𝟤𝟢𝟤𝟣𝟣𝟤𝟢𝟤


cotogoto tumugu


綿子 / iro and
iro and(イロアンド)という活動名で描いたり、書いたり、喋ったり。自然な暮らしを生活に取り入れる試行錯誤が好きで、暮らしを丸ごと愉しみたいと考えています。心の師匠は、花森安治。大好きなことは宇宙研究。
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